すぎやまこういちとドラクエサウンドが出来るまで
・作曲家すぎやまこういちとら
・ドラクエに携わる経緯
・有名な都市伝説
日本の作曲家、編曲家、指揮者JCAA常任理事、JASRAC評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。
名義にひらがなを使用しているのは、「椙山」を読める人が少なかったため。
すぎやまこういちの生い立ち
東京府東京市生まれ。祖母が子守唄として賛美歌を歌っていことや、両親が音楽好きだったことから、幼少から音楽に親しむ。また両親がゲーム好きだったことから、物心がついた頃から自身もゲーム好きだった。
小学校時代は父の仕事の影響で引越しが多く、6年間に3回の転校を繰り返す。また小学生の頃から鼻歌で作曲を始めるようになる。
千葉県の中学校に入学するものの、当時は第二次世界大戦の最中。
戦後、東京に戻り、独学でクラシック音楽を学んだ。前都知事 青島幸男とはこの頃からの親友である。
高校生時代は音楽漬けの日々を送り、音楽部を創立し、3年の時には戦時中に活動休止していた学内オーケストラを再組織し、指揮と編曲を務めるなど勢力的に活動していた。
当初は音楽大学への進学を望んでいたが、ピアノが弾けなかったことから断念、東京大学理科II類に進学する事になる。
しかし、学業に専念できず、音楽活動と遊びに全力投球。
3年次、自由な時間がなくなるのを嫌って教育学部教育心理学科へ進学。しかし、教授が(授業にあまり出ない)すぎやまの顔を覚えていたために、テストを受けさせてもらえないなどしたため1年留年、その後卒業となる。
卒業後、父のコネで工場の品質管理のアルバイトをしていたが、高校時代に作曲した曲を当時の文化放送芸能部長が気に入り、引き抜かれる形で文化放送に入社。
1年報道部で務めた後、芸能部に移るも
1958年、「これからはラジオの音楽番組はコスト面で不可能になる」と判断し、
当時、開局準備中だったフジテレビに移籍する。
フジテレビ入社後、ディレクターとして
音楽番組を担当していたが、1960年代からディレクター業と並行してCMの作曲家としても精力的に活動し始め、またミュージシャンへの楽曲提供も始めるようになる。
それらの曲がヒットするようになると、自分の番組に自分の曲が出てしまうために変な憶測をされないように苦慮するようになり、またJASRACとフジテレビが著作権料の支払いで揉めるなどし始めたために、当時既に給料より作曲家としてのギャラの方が多かったこともあり、1965年4月にフジテレビを退社した。
退職後、フリーのディレクターとしてフジテレビの番組やFMのラジオ番組に携わり、1968年から作曲活動に専念し、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツを手掛ける。
また1970年代に入ると特撮音楽、中盤になりアニメ音楽を数多く手がけ科学忍者隊ガッチャマンのサントラを作曲・編曲・指揮を担当した。
1985年8月にエニックス(現スクウェアエニックスなのは言うまでもありませんが)から発売されたパソコン版ソフト森田和郎の将棋の序盤の駒の組み方に疑問を持ったすぎやまは、同ソフトに添えられていたアンケートを送った。
そのアンケートを確認したスタッフが当時売れっ子作曲家のすぎやまこういちに直接連絡を取り、エニックスの担当者からゲーム音楽の依頼をするのが始まりと言われている。
最初に担当したのは、あの漫画家桂正和作、ウイングマンのパソコンゲーム、ウイングマン2キータクラーの復活の作曲を担当することになった。(これはこれで桂正和とのコラボなのですごいですが。。。)
時を同じくしてエニックスが社運をかけて製作していたドラゴンクエスト。
なんと完成まであと1週間という切羽詰まった時期に、内部スタッフが作った音楽の出来が良くないという事態が発生する。
ドラクエの世界観を出せる作曲家を探したところ、またエニックスから白羽の矢が立つのである。
当時の作曲業界というのは、短い納期での依頼は当たり前で酷いものは24時間以内というものもあり、迫られた納期はすぎやまにはあまり関係がなかった。
しかし当時のゲーム開発陣は、作曲家という別業界の人間と協力するという雰囲気ではなかったが、元々無類のゲーム好きであるすぎやまこう氏はゲームの話でコミニュケーションをとる事で相互の理解を深め、開発は円滑に進んでいった。
サウンドは、当初は流行からかロック調でと注文されたが、ゲームの世界観が「中世の騎士物語」ならばクラシック調がふさわしいとすぎやまは提案。
1週間で全ての楽曲を製作。
すぎやま氏によると『ちょうど作曲が好調な時期だったことも大きかった』
有名な都市伝説
あの有名な、『序曲』のメロディはすぐに出来た。
それをすぎやま氏は「5分と54年で出来た曲」と言い、それまでの54年の人生があって初めて「序曲」を生み出すことができたという言い方をしている。
※これは世界的な画家パブロ・ピカソの名言『1分と80年だ』に感銘を受け、すぎやま氏が真似たとされている。
また、ゲームのフィールドや戦闘中の音楽に関しては、「何百回も聞くものであるから、聞き飽きないものを心がけている」という。
これは、ゲーム好きのすぎやま氏が作り手として大切にしている事である。
以降、全シリーズの作曲のみならず開発の初期段階(企画立案の段階)からプロジェクトチームの一員として参加しているのは有名な話。
エンディングのスタッフロールに名を連ねているのはその為である。
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